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高校生の皆さんへ

医学科に入るということの意味

  • 「社会人になる」ということは「何かのプロとして働き社会に還元してゆく」ということ
    • 世界は色々な「プロの仕事」で回っている。
      • モノを作るプロ,モノを売るプロ,教育のプロ,ルールを作るプロ,マネジメントをするプロ……
    • 私は臨床医学のプロとして働いているが,他の業界の情報には疎い。業界を選ぶということはその業界でプロになる分,他のことに関しては外注するということでもある。
    • 「どの業界」でどんな「プロ」として生きていくか,というのは現代の日本では多くの場合,大学卒業後に決定する。
  • 医学部医学科が特殊であるのは「入学時点でその後の業界・職業まで決定される」という点である。
    • 「医療業界」に入る未来はほぼ確約されているし,多かれ少なかれ人生の一定期間を「臨床医学のプロとして生きていく」ということもほぼ確定する
    • このようにエスカレーター式に業界・職種まで決まる学部は医歯薬・獣医系などに限られる。いわゆる文系の学部では存在しないのではないだろうか(法学部に入る=法曹関係者になるわけではない)。
  • 若いうちから職業選択まで見越した受験をするということは,偏差値云々以上の重みがある。
    • 皆さんは受験勉強をしているつもりかもしれないが,実際にはすでに重大な「業界選択」と「職業選択」をしているのである。
  • 医療業界に入る,そして医師になるということについて,皆さんはその先の未来をどの程度想像できているだろうか。
    • 正直当時の私はそのようなことを全く想像できていなかったし,十分な情報も与えられていなかったと思う。
    • 漠然と「どうせ勉強するなら将来役に立つ学問がいいな」としか思っていなかった。
    • その考えはある意味で正しかったと今でも思うが,もう少し情報を集めていてもよかったのかもしれないとも思う。

医学のプロになる利点

  • 医学科に入る,ひいては「医学のプロとして生きていく」ということには,いくつかの明確な利点がある。
  • まずその点について現役の臨床医の視点からお伝えしたい。

1.健康情報を自分で判断できるようになる

  • 第一の,そして最大の利点は「自分や家族の健康に関する情報とその解釈を他人に委ねる必要がなくなる」ということである。
    • エビデンスとして「壺を買ったら治った」と同レベルのエセ医療・トンデモ医療というのは残念ながら数多実在する(多くは高額な自費診療)。皆さんが「広告」などで目にする健康情報の多くはそのレベルと言っても過言ではないかもしれない。
    • こうしたビジネスが成り立つ最大の理由は,医学情報の消費者である患者さんや家族の医学リテラシーが低いことにある。
      • 日進月歩の最新の医学知識にキャッチアップし続けるのは現役の臨床医も(自分の専門分野以外)簡単ではない。患者さんやその家族にその能力がないのは当然。しかし臨床医として働く中で一般的な医学知識や医療統計の知識を身につければ,少なくとも最低限は自分の頭で判断できるようにはなる。
    • 10代,20代の若い時は実感しないかもしれないが「健康」というのは何よりの資本である。それなくしては何も始まらない。学業にも仕事にも生活にも大きな支障をきたしてしまう。健康維持や病というのは全てのライフイベントに直結する極めて重大な問題である。そのような極めて重大な資本に関する情報を全く自分で判断できない,すべて他人に委ねなければならないというのは1つの不幸・不自由である。
  • 臨床医学のプロになれば「健康情報・医学情報の質を自分の頭で判断できるようになる」。これは紛れもない利点と言える。健康情報についてインターネットの真偽不明のジャンク情報に踊らされずに済むというだけでも相当な時間・ストレス軽減効果があるだろう。身近な家族をそうした誤情報から守ることもできるかもしれない。
    • 補足)他にもライフイベントに関わる重大な問題を「自分で判断できる」という強みを持ったプロはいる。たとえば「お金のプロ」である士業,「法律のプロ」である法曹関係者などである。こうした職業の人気・倍率・給与が高いのは資本主義的に妥当だと思う。

2.つぶしが効く

  • 第2の利点は,つぶしが効くということである。
  • これは単に臨床医として職にあぶれにくい,という話ではない。
    • もちろん地域によっては医師の絶対数は全く足りていないため,働く環境について贅沢を言わなければ,国内で臨床医として仕事にありつけないということはない。また,医師7年目程度まで大規模病院での激務に耐え専門医を取得できれば,それ以降はある程度職場を「選べる」場面も増える。給料も世間的には十分額をもらうことが可能である。ただこれは非常に局地的な視点である。
  • あまり知られていないが,実はもっと広い視点で医師にはいろいろなキャリアパスがある。
  • 第一には,科学者としての道に足を踏み入れることができる。医学部にも理工系・農学系からと同様に科学者になる道がある。
    • 医師免許を取得する過程で他学部卒業生に数年程度の遅れは取ってしまう(医師免許〜初期研修中に彼らは修士・博士を取る)が,医師免許は科学界・アカデミア中でのキャリアにおいても有利に働くことが多い。一流の基礎研究者になる場合は医師免許取得前からキャリア戦略を練ってハードな道を進む必要があるが,十分に拓かれた道である。また医師免許があると,他学部から大学院に進みポスドク,研究者として生きていく道よりは経済的に安定しやすい(医師業で当直・代務外来アルバイトなどができるため)。
    • 「最悪科学者として花開かなくてもまた臨床医として現場に出ればよい」という保険は,心理的にも強みである。
    • また,ガチガチの基礎研究者でなく,ある程度臨床医として勤務した後,臨床データを医学誌に報告する「臨床研究者」になるという道もある。こちらも競争社会でハードな道ではあるが,臨床医として現場にフルコミットする働き方よりはバランスがとりやすいかもしれない(所属する臨床講座による)。
  • 第二には,製薬企業に就職するという道がある。
    • 患者さんの情報や臨床検体を扱うこうした企業には,医師免許を有する人員が必須である。専門医などまで取得した医師7年目以降や公衆衛生修士・医学博士を取得後であれば,臨床医として働くのとほぼ同等の給与でこうした企業就職が可能である(バイオベンチャーなどの場合そこまでの給与にはならないかもしれないが)。仕事内容としては臨床試験(治験)のコーディネートや,専門医的な知見を活かしたアドバイザー的なポジションなどがある。残念ながら東京・大阪など一部の地域にしか就職先はないが,一般就職で入るより遥かに低い競争で大手製薬企業に就職することができる。
  • 第三には,厚労省でキャリア官僚になるという道がある。
    • これもあまり知られていないが,厚労省には「医系技官」という医師免許を有した人間しか入れない官僚ルートがある。医師免許を持った人は90%以上が臨床医として働くため,技官はあまりメジャーな選択肢ではない。そのため競争が少ない。よく知られているように一般的なルートで国家総合職(いわゆるキャリア官僚)になるのは大変な倍率の狭き門である。しかし医師免許があると,遥かに少ない競争で厚労省にキャリア官僚と同等の扱いでの就職が可能である。仕事の内容は公衆衛生や医療制度そのものの仕組みづくりに関わるもの。医学そのものより医療制度などに興味がある人にとっては面白いキャリアだろう。また臨床医として現場で擦り切れるまで働くよりは,ワークライフバランスを保ちやすい。
  • 第四には,世界に出て働くという道がある。
    • 医師免許(M.D.)は博士(Ph.D.)と同様に世界共通のプロフェッショナリティである。日本で専門医まで取るか,あるいは現地の試験合格などいろいろなハードルはあるが,所定のプロセスを踏めば海外で臨床医として働くことも可能である。他にも,公衆衛生の修士を海外大学院で取得したり,博士を海外大学院で取得すれば,WHOなどの国際機関や海外研究機関での就職を目指すことも可能である。ハードルが極めて高いことは否定しないが,医師免許があるからこそこうした幅広い選択肢が実は広がっている。特に海外大学院への進学などは一般には非常に困難な道であるが,医師の仲間内ではそこまで珍しい話ではない。現に私の大学時代の同級生も何名かは海外で働いている。
  • もちろん「ふつうの専門医」としてふつうに現場で働く,という選択肢はもっとも取りやすく,それでも十分やりがいのある仕事である。
    • ただ「医師免許取得 = ずっと臨床医として現場で働く」という意味ではない,ということは強調したい。実は医師免許があるからこそ,医学のプロとして信頼されているからこそ挑戦できるいろいろなキャリアが存在する。漠然とただ「医師になる」というだけのイメージで医学部に入るより,こうした色々な可能性に思いを馳せてもらった方がきっとワクワクしてもらえると思う。おそらく大学受験時点でこうした情報に触れる人は少ないと思うが,むしろ若い人にこそお伝えしたいキャリアパスである。皆さんは医師になると同時に「医療業界で働くプロ」になるのである。
      • ただし自治医,防衛医,地域枠受験の場合ははじめの10年近いキャリアをかなり固定化されるため注意が必要である。これらは特に奉仕を期待された特殊ルートであり,給与や貸付給付金も関わる。臨床医師として身を粉にして奉仕することを前提とした契約となっている。キャリアの自由度が極めて低い点については注意されたい。

3.経済的不安から解放されやすい

  • 第3の利点は,経済的不安から解放されやすい点である。
  • よく知られているように,医師の給与は保障されている。
    • 研修医1年目の時点からすでに平均給与を上回る額をいただくことができる(補足:もともと初期研修医は無給労働を強いられていたが,研修制度の改革によりかなり労務形態が守られるようになった)。
  • くわえて上述したように「職にありつけない」という不安とは無縁である。
  • また若いトレーニング期間などは忙しすぎてお金を浪費する時間も多くないため,貯蓄も行いやすい。若いうちから経済的余力が生まれやすい。そのためかわからないが,医師の初婚年齢は明らかに他の職種と比べて早い(体感として,医師3年目〜5年目あたりで同期の結婚式ラッシュが一山くる)。
  • 専門医取得までは大規模病院でキリキリ生命を削って働く必要があるかもしれないが,それ以降はある程度自分の裁量で仕事を選ぶことはできる。先述したようにアカデミアや企業,海外などへの冒険も選択肢であるが,そこまでやる気が起きなければ,外来しかしないバイト医などの選択をすることもできる。それで十分なワークライフバランスが取れるようにもなるだろう。
    • 医師としてのキャリアとしては止まってしまうが,キャリアが人生の全てでないことは自明である。過酷な労働環境で茹で上がりバーンアウトしてしまうよりは遥かに良い。

医療業界・医師として働くことの問題点

  • 何事にも両面性があり,医師になることは必ずしもプラスばかりではない。
    • どうしても伝えておかざるを得ない問題点もある。

医療業界自体の暗さ

  • まず,医療業界というのは決して明るい業界ではない。これには2つの意味がある。
  • 第一に,基本的に「人の病」という不幸・ネガティブなものを取り扱う産業である。
    • 医療現場には死・病,それを取り囲む患者さんや家族の負の感情が渦巻いている。お産を除き,基本的に幸せになりに病院にくる人はいない。飲食店のように「みんな満足して帰っていく」こともない。表向きスタッフは明るく仕事をしていても,やりきれないこと,理不尽なことは尽きない。感謝されることが多い仕事でもあるが,恨まれたり,疑われたり,攻撃されたりすることも同じくらい多い。ご家族や本人とトラブルになることも決して少なくはない。基本医療職は患者さんや家族をサポートをするために仕事をしており,害意を持って接することなどあるわけがないが,それでも偶発症や必然的な要因によって患者さんの転帰がよくなければ,その責任を転嫁されたり,場合によっては訴訟になったりすることもある。
    • また職場の環境それ自体も決して綺麗ではない。新しい病院は表面上美しく取り繕われているが,仕事の内容はいわゆる3K(くさい・汚い・危険)である。
    • 病院には社会的にも大きな問題が抱えた人が多く来院する。病は社会的・経済的に弱い人ほど蝕まれやすいし,また逆に病のために社会的ハンディキャップを抱えることになる人も多い。社会的弱者というものがみなさんはなかなか想像しにくいかもしれない。たとえば「健康で文化的な最低限度の生活」「闇金ウシジマくん」などの漫画を読んでいただくとよい。後者は漫画として多少の誇張はあるかもしれないが,それに近い世界観は確かに現代日本に実在する。そのことは医療現場に出るとよくわかるだろう。
    • また主担当医として極めて状態不良な患者さんを抱えているときは,どうしてもその人のことが気になってしまったり,ストレスがかかる場面も多い。急性期に集中治療室に出たり入ったりを繰り返すような患者さんの診療に「責任を持つ」のは,やはり心身ともに削られる。「人の命を預かる仕事」と安易に言うが,現実にそうした場面をマネージメントするのは心理的に容易なことではない。その患者さんが自分の手を離れるまでは,経験を積んだ医師であったとしても割り切って仕事をし続けることは難しいかもしれない。
  • 第二に,医療現場は経済的な意味でも明るい産業ではない。
    • 医療の財源はほぼ税金など公費であり,その意味でも負の産業である。医療機関が収益を出す時,医療従事者が給料を得るとき,もとを辿ればその財源はほとんど税金と保険料である。税金と保険料は制度上異なるものではあるが,保険料はサラリーマンであれば天引きされるものであるし,自営業者は収める義務があるものであるから,実質税金のようなものである。
    • 医療とはいわば社会インフラ・公的事業に近いものである。自分の所属する病院が「収益を上げる」「お金稼ぎをする」ということが国の財政にとってプラスになるとは言い難い。日本の臨床現場は成長産業ではなく公的サービスである。そのため日本でどれほど「凄腕の医師」になろうと,どれほどの専門性を磨こうと,あまり給料には反映されない。むしろ国の財政悪化などによっては,専門性によらず給料の上限がどんどん引き下げられる可能性が十分にある。これは公的医療保険が支払主だからである。日本に限らず,欧州などではこうした医療制度の国が多い(そのためストライキも多い)。
    • 今後,日本は超高齢社会となり医療費がどんどん高騰する未来が確定している。その際,これ以上若い人たちの給料を天引きして高齢者医療にあてがい続けるのには限界がある。医療制度の改変は確実に起きるし,現に少しずつ起きている。医療従事者の給料が今と同等の水準で保たれ続ける保証はない。医療従事者の給料を落とすよりは自己負担額を上げる,という選択肢もあるはずではある。しかし投票行為を行う有権者のほとんどが高齢者である現状,医療従事者の反感を買っても高齢者の自己負担額を維持するという選択を政治家は取るかもしれない。未来のことは分からないが,昨今の動向を見るにあまり楽観的にはいられないだろう。
    • 良くも悪くも,日本の医療現場は資本主義の入り込む余地が少ない「インフラ」である。「自分の事業が収益を上げれば上げるほど,そのビジネスが成長する。そして顧客が増え,さらに事業が成長する」。一般的な資本主義下の産業は全てその構造で回っているが,医療現場はそうではない。背後にある根本的な思想は「成長・収益」ではない。強いて言えば「奉仕」「貢献」である。
    • 大元が税金・公費である以上,普通のビジネスとは違う。たとえば国が「医療費に割く財源がきついので診療報酬はこの値段に引き下げます!」と判断するだけで,業界全体として給料が落ちたりもっと苛烈な就労環境になるのがこの医療業界である。このシステムを理解しておいていただくことは重要である。日本の今後の経済成長・人口動態を踏まえれば,日本の医師の給与水準が今より上がるシナリオを楽観視することはできないだろう。
    • 単純に「お金稼ぎをしたい」「経済的に安定した状態でぬくぬく過ごしたい」というモチベーションであれば,日本で臨床医という選択肢が最適解とは言い難い。医学科卒であれば,職能や仕事量が給与に反映されやすい国を探してその地で医師として働く(=先述のように,相当な勉強が必要でありハードルが高い)か,先述したように医師免許を活かした別の職種につくか,リスクをとって自費診療を行うかである。はじめから他の成長業界に就職するのがよいだろう。
      • なおアメリカではいい腕の外科医にはべらぼうな年収がつく,と聞いたことがあるかもしれない。これは端的には「彼らの給料を支払うのが税金や公的保険ではないから」である。アメリカは医療制度すらも完全に資本主義の中で成立している。たとえば日本で専門医にかかろうと思えば,近医の紹介状1枚ですぐ予約が取れるし,5000円〜8000円程度支払えば何の予約もなくいきなり飛び込みで見てもらうこともできる。しかしアメリカでは数ヶ月以上待つのがザラである。患者側にとってはたまったものではないが,そうしたアクセスの制限により医療従事者の給料やワークライフバランスが保たれている側面はあるのだろう。とはいえアメリカでは貧困層はまともな医療が受けられず,社会保障という意味では破綻している。患者側から見たら明らかに日本の医療制度の方が良いことは明白である。
    • 本邦の医療制度は,受益者にとっては本当に素晴らしい。しかし安い医療費で高いクオリティの医療が提供されるための歪みはそこかしこに生じている。特に勤務医は一般に高給取りと見なされるものの,労働時間を加味した際に単純にそういうことはできないかもしれない。

勤務医の働き方は壊れている

  • 働き方の問題についても触れておきたい。
  • ある程度見聞きしたことがあるかもしれないが,勤務医の「働き方」は相当壊れている(診療科によって差はある)。
    • 医師の働き方改革では「時間外労働を年1860時間までに制限しよう!」と厚労省が言っている1),と言えば異様さが伝わるだろうか。逆に言えば1860時間の時間外労働は医師であれば合法なのである。参考までに,いわゆる過労死認定基準は月平均80時間である。
  • 給料は高いが,それが時給換算で恵まれているか,心身ともに健康的な職場なのかというと全くそんなことはないということである。
    • たとえば内科系・外科系医師の場合,10年目あたりまでは年間9日(平日1週間+前後の土日)しか完全フリーの休日がない,というのは珍しい話でもなんでもない。
    • 月に8日〜10日オンコール(=病棟患者さんの容態変化や救急外来からの新規入院に夜中ずっと電話対応し場合によっては駆けつけて処置する),月に5〜6回当直(=病院に泊まり込みで救急外来等の夜勤を行う),夜勤明けもそのまま仕事,などはザラである。
    • 字面で見るだけではあまり実感できないと思うが,人間,睡眠を削られ続ける,電話で叩き起こされ続けるというのは相当な心身の負荷である。研修医同期が10人いれば,数年以内にバーンアウトしたり精神的におかしくなってしまう人は 2-3人いる(少なくとも私の周囲ではそうだった)。
    • しばしば若手医師の過労や自死の問題が報道されるが,報道されているものは氷山の一角である。国も業界も長らく問題意識は持っており「変えたい・変えなければならない」という共通認識があるが,現時点でも医師の過労なくして維持できない医療システムが構築されてしまっている以上,一朝一夕で劇的に改善することは期待し難い。(診療科にもよって大きく異なる点はあるが),臨床医として働くということは,ある程度生命を削った生き方を覚悟せざるを得ない。明るい未来を夢見て入学を目指す方々にこのような情報を提供せざるを得ないのは私個人としても極めて遺憾であるが,働き方が壊れているのは紛れもない事実である。
    • 皆さんが医師になる頃には少しでも改善していることを期待したいし,そうなるように私たちとしても声を上げ続けたいと思う。
  • また医師として働く上での負荷はこうした拘束時間のみに限らない。
    • 主治医制で患者さんの命に責任を持つことのストレス,訴訟リスクには常に晒されている。
    • また家族との話し合い,コメディカルとのコミュニケーションで齟齬が生じることもあり,そうした人間関係でのストレスも少なくはない。
  • 医師になった後も,専門医取得(医師6-7年ごろ)までに少なくない数がドロップアウトしてしまうのは紛れもない事実である。

常に研鑽し続ける必要がある

  • 加えて,どの業界でも一緒だとは思うが,医師として第一線で働き続けるには常にトレーニングし続けなければならない。
    • 医学の進歩は極めて早い。学習・研鑽をやめればすぐに取り残されかねない。
    • ただ「一流でなくなる」というだけならいいが,医師業の場合は患者さんの健康を損ねかねないため「勉強していないこと」は直ちにプロ失格となってしまう。その点が医師の特殊性であり,他業界との大きな違いである。他の人の健康を預かる仕事である以上,研鑽せず医師としての腕が衰えることはただの自己責任で済まない。
  • 関連して,医師になるまでもなってからも非常に多くの試験が待ち受けていることは共有しておきたい。
    • 医学部の中でも相当数の試験を受け続けることになるし,医師国家試験合格後も,専門医試験やらなにやらとテストが待ち受ける。
    • 医師国家試験の合格率は90%であるし,専門医試験も70〜90%が合格するが,それは試験が簡単という意味ではない。そもそも,そこに至るまでに相当な選抜がかかっている。そこまで生き残った人たちが集まった上で10〜30%落ちる試験,とも言える。実際に相当の学習時間は要する。「ほとんどの人が受かる試験」というのも,周囲が優秀な人間である以上,なかなかのストレスである。
    • ちなみに専門医試験は診療科にもよるが大抵医師6〜8年目に受験することになる。最短でそこ至っても,すでに30代。30代が試験会場に集まって一斉に試験を受けている光景を思い浮かべて頂きたい。それが専門医試験の現場である。こんなにも試験ばかりしている職業はそう多くないだろう。

医師は突き詰めれば「代替可能な人材」にすぎない

  • これだけの努力をしても,臨床医はあくまで「社会インフラ」を支える「コモディティ」である。つまり代替可能な人材である。
    • 医療現場において「最適解の大筋は決まっている」というのは重要な点である。「ぼくの考えたさいきょうの治療法」みたいなオリジナリティは存在しないし,存在してはならない。それぞれの現場を改善する工夫はできるが,診療内容それ自体に独創性のようなものは介在しない。
    • あるのは「現時点で入手できる最良のエビデンス」と「目の前の患者さんの状況」との「擦り合わせ」だけである。もちろんその「擦り合わせかた」には医師個々人で差が生じるし,プロフェッショナリティの見せ所かもしれない。しかし大筋としては変わらないのである。
  • 臨床現場で働く医師のイメージは,常時安全運転をすることが前提となる「飛行機のパイロット」に近い。いわば個別のプライベートジェットを運行しつづけるパイロットである。
    • 患者さんによっては低空飛行からのソフトランディングを目指す場合もあれば,強制不時着する場合,いろんな社会的要因で「当初想定していた目的地」まで辿り着けない場合もある。こうした擦り合わせをコンサルタントとしてうまく行い最適解をさぐるのが臨床医の仕事である。
    • しかし多少の個別化はあったとしても,どうしてもやはり「あの目的地を目指すなら普通のコース取りはこう」というようなものは決まっている。そのため「どのコースに乗せるか」という協議をしたら,あとはある程度「半自動的に診療が進んでいく」。
    • どこまで行っても臨床医というのは「代替可能な人材」に他ならない。「この人じゃなきゃダメだ」みたいなことは実際にはほとんどない。同じ専門医資格を持った者同士であれば,ほとんどの場合は代替可能。コミュニケーションがあの先生の方が取りやすかったとか,あの先生の方が仕事が早かっただとか,多少の差は生まれるかもしれない。しかし大筋としては代替可能なコモディティであるし,そうあるべきでもある。
    • 外科系医師は「自分の手術の腕が良かったので患者が救われた」というシチュエーションを経験することもあるだろうが,内科系医師の場合「じぶんの腕がいいから患者が救われた」というような場面に遭遇することはほとんどない。
      • そもそも医師によって大きく患者さんの転帰が変わるようなことは,本来あってはならない。
  • そうしたことを突き詰めた時,やはり究極的に勤務医というのはブルーワーカーである。多少の差異はあれ熟達した医師にとって臨床業務の8割以上は繰り返し業務と言っても過言ではない。その点で,長く続けるやりがいとしての限界はあるかもしれない。
    • 患者さんや家族とよい関係を構築できることで仕事のやりがい・満足度が高まることはあるが,いつもそうと言うわけではない。
    • 中堅以上の医師になると,むしろ後輩医師の教育や論文をかく活動に力を入れたりすることでモチベーションを維持することが多いと思われる。
      • 逆に言えばそういう新しいこと,臨床以外のことに手を出さなければモチベーションを維持し難いのかもしれない。

結局医学部はアリなのか

  • 上記のような問題点を考えたとき,私は医学の道を志す後輩の皆さんに対し純粋な気持ちで「100%おすすめできる」とは言えない。
  • ただ一方で,医学部に進学するという選択は十分「アリ」だと思う。
    • ネガティブな要素の大半は,専門医取得するまでの仕事(医師7年目ごろまで)のハードさ,勤務医の働き方のバグり具合が占めている。所属する医局によっては15年目あたりまでバグり続けた地獄かもしれない。しかし逆に言えばその要素を傍に置いた時,享受できるメリットは大変大きい。
    • 加えて先述したように,卒後のキャリアの選択肢は臨床以外にもある。また疲れたならキャリアを休むことは可能であるし,それで食いっぱぐれることもない。医師業のバイトだけでも生活には全く困らないだろう。医師免許を持つことによるリスクヘッジ能は極めて高い。
    • また医学のプロとして生きることで得られる専門性という強み,自分の仕事や研鑽が確かに「目の前の人の役に立っている」という他者貢献感の高さは格別である。
  • 重要なのは「医学部に入って何をしたいのか」「どんなキャリアを思い浮かべているのか」究極的には「どんな人生が自分にとって幸福なのか」という視点だと思う。若いうちからこのようなことを考えるのは難しいかもしれない。しかし答えを出す必要はない。答えを出さずとも,少なくとも情報を集めておくことは大切なことだと思う。
  • 国立・とくに旧帝国大学の医学部受験は高難易度であるが,その受験をクリアすることを目的化すべきではない。医学部に入るのはあくまで手段であって,目的ではない。「受験という競争ゲームで勝つことの景品」というように考えるべきでない。
    • どうしても日本の受験業界の構造は競争ゲーム的であるし,この世界も資本主義で成り立っている以上その後も競争からは免れ得ない。ただ競争に勝つことを目的として医学部に入りそのまま勤務医になっても,得られる「景品」はそんなに良いものではないかもしれない。劣悪な労働環境の場所も多いし,ヘルパーズ・ハイや他者貢献感のドーピングなしにはやっていられないような「やりがい搾取」も横行している。
    • その後も学歴の呪縛に囚われると修士,博士の世界で競争にさらされ続けるかもしれない。企業就職しても資金獲得を目標にして突き進み続ける限り,穏やかな人生とはほど遠い世界に入ってしまうかもしれない。
  • だからこそ「医学のプロになって,どうしたいか」「医学のプロになるこのメリットは何で,デメリットは何か」という情報はみなさんに共有しておきたい。その上でもこの業界を選んで進むという決意があれば,きっとその先も得られることは多いと思う。
  • 本稿を読んだ後輩の皆さんが,決意を固めて同じ道に進み,この業界を盛り上げる仲間となってくれたとしたら望外の喜びである。

FAQ

受験勉強は役に立ったか

  • 正直な実体験上,受験勉強で学んだ記憶の9割以上は消えていると思う.
    • 医師キャリアとして明確に役立ち続けるのは英語.あとは一部の数学知識(統計学の理解に必要).
    • また受験科目としての国語は少し毛色が異なるかもしれないが,ロジカルシンキングや日本語での「会話力・説明力・要約力」のようなものは常に生き続ける.
  • 特に英語は100%そのまま使えるし,研鑽し続けるべき。
    • ぜひ受験で得た英語力を腐らせる前に TOEFL や IELTS を受験して海外留学への距離感を測って欲しい。もし「あと少しの追加努力でそれが得られそう」と思えたら,飛び立ってみたくなるのではないだろうか。
    • 注意すべきは,TOEIC ではないということである。単位認定などに関わる場合もあるかもしれないが,基本的に TOEIC (L/R) は国際シェアが小さくほとんどの留学要件やワーキングホリデーなどでの英語力証明には使えない。そもそも speaking や writing の力を見ておらず,4技能中2技能のみのテストであることも問題視されている(TOEIC s/w と合わせて受験する場合その限りではないが,やはり国際的な認知度が低く受験する意義には乏しい)
  • 数学の一部は,統計学を理解する上で重要(特に微積分・行列などの基本的操作や確率計算)
    • 統計学はサイエンスの文法であり,科学に携わるものとして逃れられない

浪人はどこまで続けるか

  • 1浪は非常に多いが,体感的に 2浪・3浪以降は極端に人数が減る
  • 完全に私見であるが,若く貴重な時間を受験勉強のみに捧げ続けるのは人生を大局的に見た時少しもったいない様にも思う
    • 最終的な目標が「医師として臨床現場で働く」のであれば,医学科同士での偏差値比較や大学のランクなどほぼ関係ない
    • ほとんどの現場の人間が医師の出身大学など気にしていない
    • 臨床医として一流になりたいのであれば出身大学がどうというより,医師になった後の自律的な生涯学習をきちんと継続できるか,臨床現場でほかの医師やコメディカルと円滑にコミュニケーションできるか,患者さんや家族とうまく対話できるか,といった要素の方がはるかに大きい
    • 国公立 vs 私立では大きく授業料等の差があるが,特に国公立同士などであれば大きな違いはないので,早く入ってしまった方が「生涯賃金」という意味でも得である.
      • 多浪を重ねるのは塾代など金銭的にも負担が大きく,生涯でみたとき相当な差額になる
  • どうしても学歴が気になるのであれば,大学院(修士・博士)でいくらでも挽回は可能.
  • 同じ金額・時間をかけるのであれば早く大学に入ってしまい,1−2年程度休学してワーキングホリデーで海外で働いてみる等はどうだろうか.より多くの出会い,経験が得られるだろうし,英語力も上がる.浪人は履歴書上の空白にしかならず新しい経験も中々得られないが,休学してのワーキングホリデーは面白い経験が得られるし経歴にもなるということをお伝えしたい.
    • 実際,海外の大学生は卒業後にギャップイヤーと言って1−2年程度ワーキングホリデーで海外に出たり,旅をしたり,別業界でインターンをしてみたりと幅広い経験を積む人が少なくない.
    • 日本の就職市場は「新卒であること」に付加価値がつきがちなので,卒業してから何かするというよりは,休学してワーキングホリデーの方がいいかもしれない(?)
msg/index.html.txt · 最終更新: 2024/01/09 by admin

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